2013年晩秋のある日。
7年後のオリンピック開催が決まり、その選手村や競技場が設置される事となり、そろそろ地面が掘り返されつつ
ある東京晴海の地に私TOは佇んでいた。トリトンスクエアや高層マンション群が私TOを見下ろしている。
午前中に仕事を終え、踵を返し歩を進めるのは晴海通り。通りを銀座方面へ向かう。
この時期にしては暖かく、しかし冬の気配を感じさせる乾いた風が私TOのコートを翻す。晴海の風は強い。
私TOは、今日のような日を待っていたのだ。静かに。静かに。
そう、休日出勤でこのあたりに来る、その日を、私TOは長年静かに待っていたのだ。
目指すは築地市場。 聖地は築地にありッ!!
桂川を渡った時の光秀もこんな気分だったに違いない。(たぶん。)
普通なら勝どき駅から大江戸線にひと駅乗る所だが、雲一つない秋空と降り注ぐ陽光、そして仕事の終わった
開放感に誘われて晴海通りを歩く事にした私TO。
ややすると、隅田川とそれを渡る勝鬨橋が現れた。
渡る。渡らないと築地に行けないから。 しかし、相変わらず味のある橋だ。
(↓)ディティールがいいよなぁ…。
(↓)勝鬨橋からの東京タワー。お互い、くたびれたなぁ…と言う風情。(橋=’40年~ タワー=’58年~。)
(↓)橋の真ん中。![イメージ 14]()
ちなみに今日は「週の真ん中水曜日、真ん中もっこり…」である。(わかる人にだけわかれば良い。)
(↓)隙間から隅田川の川面が見えた。
言わずと知れているが、この橋は日本でも現存が珍しい可動橋だ。いわゆる”跳ね橋”である。
昔は、大きな船が通るたびに橋が左右に跳ね上がっていたそうだ。
今はもう動かず、動かそうとするとあれやこれやで10億円かかるらしい。
今度のBIGが1等10億らしいから、当たった人は動かしてみてはどうだろうか。
粋な金の使い方ではある。
(↓)往時。
(↓)両さんにも何度か出てたっけ。(名作回『勝鬨橋ひらけ』より。)―泣いたなあ、この回。
(↓)橋を渡ったところの公園より、全景。 ♪今は、もう、動かない~
(↓)橋と美女。
ちなみに、なんで「勝鬨」かと言うと、その昔、橋ができる前、1905年から勝どきの渡しというのが隅田川の交通
を支えており、その名の由来は、日露戦争で旅順要塞を攻略した際(1905年)の勝どき(勝利の喚声)だった
から。―と言うような事が、橋のたもとの碑文に書かれていた。 へぇ~。知らなかった…。
蛇足ながら、”跳ね橋”と言うとゴッホの”アルルの跳ね橋”が有名だが。
現存するというこの跳ね橋を見に3時間も何にもない
川沿いを歩いたが見当たらず、同じ時間をかけて
アルルの町に戻って地元に人に聞いたところ、橋は
私が歩いて行ったのと反対方向にあるとのことで、
やり場のない怒りに身を震わせた経験がある。
そんな事はどうでもよく、勝鬨橋を渡ると、いよいよ築地市場。
築地あたりは、江戸時代初期は海だったが、埋め立てられたので「築地」とよばれたのがそもそもらしい。
つまり、地面を築いたという意味なのだろう。「築地」とは「埋立地」を意味する言葉でもある。
築地市場は、都内に11ある東京都中央卸売市場のうち最も古い歴史を持つ、水産物、 青果物を取り扱う総合
市場。日本橋にあった魚市場と京橋にあった青果市場が移転し、昭和10(1935)年に開場した。
取引規模は日本はおろか世界でも最大で…とは、東京都中央卸売市場HPより。
平日の昼前にして、この人出。賑わい活気に溢れている。外国人観光客の姿も多い。
(↓)テリー伊藤氏の実家がやってる「丸武」もみえる。
(↓)市場に隣接する波除神社。
境内に「海老塚」とか「すし塚」とか「たまご塚」なんかが並ぶところが築地市場っぽい雰囲気を醸す。
築地を埋め立てている頃、波が荒れて工事が難航していたが、海の中で発見された稲荷神を祀ったところ
波風が和らいで埋め立てが完成した…と言うのが、波除神社の由来だそうだ。
さあ、聖地は、もうすぐそこだ。
心が踊りときめく。
ついに、ついに私TOは ここまで来た。
ここまで来たのだ!!
(つづく)