実はここのところ、持病の痛風で出社もままならない状態です。
痛風発作は、いつぞやのドイツ旅行以来ですが、全くもって、厄介なものです…。
そんな事はどうでもいいとして、今日1月23日は、結構な出来事が起こった日であります。
例えば、誕生日が今日1月23日の人は…
○イスラム教の開祖であるマホメットさん(570年)
あんまりゴチャゴチャ言うとアレなんで、スルー。
○画家のエドゥアール・マネさん(1832年)
「モネのマネ」と言うあまりウケないギャグが私TOの持ちネタだったりする。
ウケないあまりにマネさんを逆恨みしてケチをつける訳ではないが、
有名なベルトの肖像画(↓)が木彫りの人形に見えるのは私だけだろうか。
マネさんの名誉の為に付け加えると、私TOはパリのオルセー
美術館で、さらに有名な「笛吹き小僧」もとい「笛を吹く少年」を
見たが、さすがに結構上手だった。
○俳優のハンフリー・ボガートさん(1899年)
「ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった」 とジュリーは歌ったが、ジュリーがそこまで言うんだからそうだったんだろう。
映画『カサブランカ』のすっ呆け&じらし方とか…

-昨夜はどこに?

-そんな昔は憶えてない。

-今夜は会える?

-そんな先の事は判らないさ。
口説き文句とか…

-君の瞳に乾杯。
バーグマンみたいな人類史上奇跡的美女相手にそんな気障なアホ台詞をいけしゃあしゃあと言えるのは、
この世でボギー只一人だろうと思ったりする。
○ノーベル賞物理学者の湯川秀樹さん。(1907年)
1949年、日本人で初めてノーベル賞を受賞した方。中間子の存在を予言した。
「予言」と言っても、アレとかコレとかソレとかと違い、ちゃんと色々研究した上のもので、後に実証された。
私TOは物理学とは縁遠いので、「中間子」とはどのようなものかは良く判らんが、推察するに
「男子」と「女子」の中間の、いわゆる「オカマ」の事を言っているのだと思うが、もしかすると違うかもしれない。
○ボクサーの白井義男さん(1923年)
1952年、日本人初のボクシング世界チャンピオン(フライ級)となった。敗戦で打ちひしがれた日本人
にとって、外人をぶっ倒して世界一になった姿は希望の星となったとの事。
小学校の時、お祭りの余興でカンガルーとのボクシングに負けて以来、ボクシングにのめりこんだ…
との逸話は、感動していいのか悪いのか、判断がつきかねるが…。
○プロレスラーのジャイアント馬場さん(1938年)
プロレスブーム真っ盛りの中学時代、全く興味の無かった私TOが馬場ファンの友達に、
「馬場ってあんなに動きが遅いのに、ホントに強いの?」と訊いたところ、
彼は「馬場は体がでか過ぎるからゆっくりに見えるんだ。例えば、星の動きはゆっくりに
見えるだろ?本当は物凄いスピードで動いてるのに。あれと同じだよ」と答え、何となく納得した記憶がある。
他にも馬場さんには、
「太平洋を歩いて渡ったが、膝から下は濡れてなかった」
「エベレストが足の裏に刺さった」
「東京でこけたら頭がエッフェル塔をつぶした」
「スペースシャトルがよけて通る」
「アポロが着陸したのは、実は馬場のおでこ」
等々、どんだけでかいんだ伝説が数々あるが、友人のハナシ共々恐らくウソだと思う。
○俳優の千葉真一さん(1939年)
千葉真一さんと言えば、出演作はキラ星であるが。
子供の頃の私TOにとって、「影の軍団(1980年)」の三代目服部半蔵…と
「戦国自衛隊(1979年)」の伊庭三尉。
それよりも、なお記憶と印象に残っているのが…
「新幹線大爆破(1975年公開)」の、ひかり109号運転士・青木!!
ともかく、目力が強い。強すぎる。
アクションシーンなしでもアクションしていた千葉さんの演技力を堪能した。この三役が私TOにとっての
ベスト・オブ・千葉だろうか。
”まだ、子供じゃないか…戦・国・時・代…ドサッ”
の竜雷太さんが車掌役だった。
誕生日ネタに加えて、本日1月23日は、1902年に陸軍第8師団歩兵第5連隊が八甲田山に雪中行軍訓練
に出立した日でもあります。つまりは、後に「八甲田山死の彷徨(By新田次郎)」と云われる遭難事件が発生
した日でもあります。
(↓) 「天は我々を見放した」
-とは、映画「八甲田山」で北大路欣也演ずる神田大尉が吐いた絶望的名台詞。
なんか、空気が重くなっちゃいましたね。
では最後はこれ。
1月23日を「123」で「ワンツースリー」とよむ語呂合わせ。
人生に対してジャンプする気持ちを持とうとい明るい希望の日。
だそうです…。
誰が言い出したかは知りませんが。
絡みづらい記事で、ごめんなさい。
もっと、サラッと終わるつもりだったのですが、ついつい熱中しちゃいました。