1967年、昭和で言うと42年ですから日本では、「おらは死んじまっただぁ~」とクルーセダースが歌う中
吉田茂元首相が逝去し、小笠原が返還され、「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言してから10年かそこら
で、もはや戦後がどうのと言ってる人が誰もいなくなり、猫も杓子もボーリング(地面を掘る方ではなく、
玉を転がす方)に熱中し、女子児童は発売間もないリカちゃん人形に夢中になり、伊東ゆかりが男にかまれた
小指を痛がっていたその時!!
遠くアフリカでは、そんな平和ボケしつつあった日本と裏腹に、ケニア軍が壮絶な戦闘を繰り広げました。
相手はなんと、宇宙人!! そう、sukamakiさんからご紹介頂いた宇宙人襲撃事件です!!
1967年6月2日。ウガンダとの国境にまたがる楯状火山・エルゴン山の東北地区で、ケニア軍部隊と
宇宙人の間で戦闘があった…らしい。
詳しいいきさつは置いといて、兎にも角にも、十数名(と言う事は、1個分隊か?)のケニア軍部隊に
2体の宇宙人が襲撃をかけた…らしい!!
激しい戦闘の結果、ケニア軍部隊で生き残ったのは、オボシ少尉以下2名の部下だけだった…らしい。
この事件を、恐らく最初で最後に日本に伝えた、かの中岡俊哉大先生は、著書(『世界のウルトラ怪事件』
秋田書店)でこう記述する。
「(宇宙人は)首から上がボールのようにまんまるで、顔のおくに二つの目がギラギラ光り、鼻と口が
一つになってつきだし、耳には小さな穴が一つあいていた。また、肩はばは一メートル近いが、両腕は細く短く、
手の先に指がない。短いずんぐりした胴をささえる二本の足にも指はなかった。
少尉たちは、自動小銃を撃ちまくったが、相手は巨体のわりにおそろしく身がかるく、右に左に飛びながら、
小型兵器で熱線を発射してきた。
勝負は、わずか十数分できまった。
巨人がひきあげたあとには、兵士たちの死体がゴロゴロところがり、かろうじて生きのこったのは、
オボシ少尉とふたりの部下だけだった。
「あっ、あれはなんだろう?」
重傷を負ってたおれていた少尉が、ふと岩山のあたりを見たとき、円盤状の光る物体が飛びあがり、
夜空へ消えていった。」
―ううむ。そそる。実にそそる事件ではないか。
中岡大先生の記述を基に、この事件の宇宙人の姿を描くとしたらこうなる。
稚拙な絵で汗顔の至りではあるが、そもそも目撃者の描いた宇宙人の絵は無茶苦茶稚拙だと相場が決まって
いるので、ここはひとつご容赦願いたい。
しかしまあ、仲間を大勢殺され自らも重傷を負いつつも、「あっ、あれはなんだろう?」などと呑気な事を
ほざいているオボシ少尉には、微笑ましさを感じつつもイラっとくるのは私だけだろうか?
それは兎も角、この事件を調べる上で数々の海外サイトも検索してみましたが、全くもってヒットしない。
どんな些細でアホくさいネタでも大抵のものは拾えるのが海外UFOサイトの良い所なんですが、この事件
についての記述が全く存在しないのです。
ごほん、ごっほん。いやいや、中岡大先生の「読ませる筆力」のお陰で我々オカルトブーマー世代が存在
すると言っても過言には決してならないでしょうから、些細な事はどうでもよいのです。
中岡大先生は、この事件をこう結んでおられます。
「いろいろ、地球がねらわれている話を紹介したが、きみは、インベーダー、つまり宇宙からの侵略者がいるか、
どうか、信じるかね?」
で、私の答えはもちろん、 YES!! です。(侵略者じゃなくて、観光客ですが。)
(参考) つぶやき掲示板全ログ アヤメの御伽草子